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TEAM HELIS

私の夢は食虫植物愛好家の界隈を発展させることです。 愛好家の架け橋となり、栽培知識と技術力向上を目指し、栽培下における食虫植物の遺伝資源を守り後世に伝承します。
2020年よりYouTube「へりっこ植物園」で育て方の解説・自生地報告・植物園の紹介、XやInstagramで活動報告をしたり、LINEのオープンチャット「食虫植物友の会」をコミュニティとして運営しています。 他にも2019年から食虫植物オンリーイベントの「CPC」および「食虫植物祭」を開催し、2024年には兵庫県立フラワーセンターで述べ2,000人を導入しました。 2023年6月に東大阪市で食虫植物専門店「Heli‘s Garden」をOPENしました。 食虫植物愛好家の拠点になれるお店、そしてコミュニティを目指します。
2024年12月、趣味家が10年ほど諦めていた特定外来種規制対象属の輸入を正規ルートで導入することが出来ました。25年から代行輸入を開始します。 2025年1月、日本植物園協会に入会。日本中の植物園で食虫植物を見ることができ、もっと身近に感じ、一般の方にも食虫植物に興味を持ってもらう未来を目指して。
土居先生の夢でもある「1家に1鉢サラセニア」を実現するべく、食虫植物をもっと身近な存在へ変えてみせます。
日本に7つほどある食虫植物の団体をコミュニティとして大きく活性化させ、今よりもっと横の繋がりを大事にしたいです。
今の私たちに先人たちがたくさんの情報と遺伝資源を残してくれたように、私も後世にそれを伝承し、界隈に貢献したいと思っております。
 
 
私がここまでこの界隈に固執するには訳があります。 出会いは幼少、祖父が買ってくれた植物図鑑でした。その時はまさか食虫植物を直接見たり、自分の手で育てられるとは夢にも思わず、触れ合うこともなく大人になりました。
2011年、通っていたいけばな教室にネペンテス ビカルカラタが表紙の「スポみど」という地域の冊子が置かれていました。食虫植物の特集があり、冊子の最後に「植物園に遊びに来ませんか」と書いてあり、その後すぐ咲くやこの花館(大阪府)へ見にいきました。 植物園の帰り道、育ててみたい欲に駆られた私は園芸店を何軒も周りました。 最後の1軒、閉店セールをしていた永和農園の最終日に飛び込むことができ、そこでウツボカズラやその他色々な食虫植物10鉢ほどを5,000円で手に入れました。今思えばかなり破格です。
当時趣味で書いていたBLOGに「食虫植物を手に入れた!」と書いたところ、関西食虫植物愛好会の現会長、林氏の目にとまり「イベントで売ってるから遊びにおいでよ」とナンパされました。 のこのこと遊びに行き、たくさんの種類がブースに並んでいて驚愕しました。 今度は「集会においでよ」と誘われ、またのこのこと西宮市民会館で開催されていた集会に行ってみたら、男ばかりのムサい空間で部屋に入るのをかなり躊躇したのを今でも覚えています。
 
その冬、集会のメンバーと兵庫県立フラワーセンター(兵庫県加西市)に遠足に行きました。 私の人生がそこで良い意味で大きく狂いました。 恐ろしい数の今まで見たことのない様な素晴らしい状態の食虫植物に出迎えられたんです。 そして全ての食虫植物栽培を1人で担っている土居技師と出会いました。
それからは月1でフラワーセンター詣をするようになりました。植物を育てたことなど小学生時代の朝顔程度だった稚拙な知識と栽培技術しかない私に、土居先生は丁寧に何度も教えてくださいました。 食虫植物のイロハから、植物園のあり方や過去の愛好家の姿まで、惜しまず教えてくださいました。 それから数年して私は結婚することになります。食虫植物栽培は少し縮小してしまったものの、私生活は順風満帆かと思われました。 が、妊娠後悪阻が重い頃から夫のDVに悩む様になり、出産後、私だけなら我慢しましたが子供の成長に悪影響を与えると考え離婚に至りました。 私生活がズタボロになった私の心をギリギリで支えてくれていたのが、慌ただしい生活で少し疎遠になっていた食虫植物愛好会のメンバーや土居先生、そして厳選して残していた食虫植物達でした。
植物くらい無期限で預かっててあげるから。 気が紛れるならいつでも遊びにおいで。 みんな待ってるから。 いつでも戻っておいで。 そう言ってくれた、心で繋がった熱い仲間がいたから私は今を生きています。
 
 
過去にたくさんの偉人たちがこの植物に魅了され界隈を繋いできました。 食虫植物団体の世界最初の発足は日本です。日本にはたくさんの記録と歴史があります。 後世に残したい情報がたくさんあります。
食虫植物愛好家であり農園をしていた大先輩であり友人でもあった橋本園芸の橋本氏の突然の死をきっかけに、記録されることなく偉人の記憶の中で消えていった情報や与太話がたくさんある事を身をもって気付かされました。 もっと話したかった。失ったものは二度と戻ってこない。 今ある情報をこれ以上取りこぼしてはいけない。この界隈や食虫植物に何か貢献できることはないか?
そう思い行動していたはずの私にダメ押しがありました。 食虫植物の界隈を盛り上げたいと思い盛大に開催した食虫植物祭2022、体調悪く足が悪いのにも関わらず高知から遠路遊びに来てくださった川北氏の姿がありました。 「うちのサラセニア牧場に遊びに来てよ」
「絶対行く」 翌年行こうと思っていました。寒いのが終わったら、5月の食虫植物国際会議が終わったら、6月のHeli‘s Garden開店が落ち着いたら…私は忙しさにかまけて後回しにしました。 亡くなられました。あれだけ何度も誘ってくれていたのに。
国際会議の時、全国の食虫植物愛好家の皆様をおもてなししたサラセニアのいけばな、あれは川北氏最後の力を振り絞って収穫し、送付してくださったサラセニアがたくさん含まれています。 本当にありがとうございます。そして遊びに行く約束を守れなくて本当にごめんなさい。 もう相手の気持ちを無碍にするようなことはしたくない。
 
 
私は恵まれています。 界隈に入った最初に出会ったのが、確かな情報やスキルを持つ愛好会のメンバーや、師である土居先生でした。 しかし全ての人が最高の環境・人と巡りあえるとは限りません。 ネットを見ていると、出回っている情報は偽物だらけです。 せっかく園芸店で食虫植物の苗と出合い興味を持って買った方が、間違った情報を鵜呑みにして枯らしてしまい、栽培を諦めているのが現状です。 お金のためのデタラメなアフィリエイトサイト、それらを優先的に拾って間違った情報をあたかも正いかのように広めるAIの登場。 この現状を打破したく今まで自分なりに活動をしてまいりました。
食虫植物と食虫植物愛好家に恩返しがしたい。食虫植物の魅力と情報を正く伝えたい。 この界隈をもっと発展させたい。そのためにHeli's Gardenを大きくしなくてはならない。 Heli's Gardenを大きくするのは私腹を肥やしたいからではありません。 界隈をもっと大きく活性化させるためです。
2024年2月に高速道路で後ろから追突されヘルニアと狭窄症を患い、そこから店を思い通りに開店できない状態が続きました。そして治らないとの判断がくだりました。 制約がある中ででも、私は界隈発展を実現させるためにはここで惰性で足踏みすることをやめ、新たな一歩を踏み出さなくてはいけません。 月に2度しか開店しないような不安定な店でも、信頼し足を運んでくれる仲間を裏切りたくありません。 私は食虫植物のために全力を注ぎ、この界隈に骨を埋める覚悟です。
 
 
2025.8
Heli's Garden 南あこ